12


これは夢?現実?わからない。とりあえず、何もわからないことだけはわかる。わたしの前を歩く天国さんが大通りに出て立ち止まった。タクシーが止まって自然な流れで先に乗せられてしまったけれど、普通部下であるわたしが手前側では?むしろ助手席に座るべきなのでは?気付いたときにはもう遅くて、天国さんは隣に乗り込んでいてドアが閉まったところだった。まるでエスコートされているみたいで、その慣れてる様子はとてもかっこいいのに自分がそうされていることに緊張して身体が強張る。

天国さんが行き先を告げると車内はしんと静まり返った。エンジン音だけが大きく響いてせめてラジオでも流して欲しいと現実逃避をしていた。さっきから思考はすごくよく回っているようで、実のところなにも考えられていない。どうしよう、胸の鼓動が激しすぎて、苦しい。

きゅっと鞄の持ち手を握りしめていた手に暖かいものが重ねられた。落ち着かなかったときとは打って変わって目線一ミリすらも動けなくなったわたしに近づく熱と耳にかかる吐息。バックミラーに映るわたしと天国さんの姿に今度こそ心臓が止まってしまうかと思った。


「あんま緊張すんな」


小さな声で囁かれてぎこちなく首を縦に振る。大丈夫です、と声に出したつもりなのにほとんど空気しか出てこなくて天国さんは目を細めて笑っていた。

どれくらい乗ったかわからないけれど気が付けばタクシーは目的地に着いたようで広くて豪華なマンションのエントランスが目の前に広がる。あまりにも記憶が曖昧すぎるので何階なのかもわからないままにエレベーターを降り、ついにわたしは天国さんの自宅まで来てしまった。


「あ、あの…」

「どうした?ほら、上がれよ」

「はい!お邪魔します。……じゃなくて、その…」


促されるまま玄関の中に入り、背後で重たい扉が閉まる。ここまで来てしまって今更ではあるけれど、きちんと気持ちをお伝えしないといけないと思う。もしだめだったら、帰らないといけないから。


「わたし、天国さんにお伝えしないといけないことがあって…、」


堅い表情でそう告げると天国さんは小さく頷いて続きを促す。言わなければいけないのは、わたしの気持ち。ずっと抱いていた感情なのだから考えるまでもなく簡単なはずなのに。好き、の2文字を言うのがこんなにも勇気のいることだったなんて知らなかった。言わなきゃ、そう思うほど喉が震えてうまく声が出てこない。


「あの…わたし……」


どれくらいそうしていたのか、数秒だったのか数分だったのかわからない。天国さんはじっと待っていてくれて、長く感じた沈黙を打ち破るために息を大きく吸い込んだ。鋭い輝きを放つグレーの瞳に捉えられて怯みそうになったけれど、意を決して口を開く。


「…ずっと、好きでした…」


静かなここでさえ、届いたかどうかわからない程度の言葉に天国さんはわずかに目を見開いた。やっぱり驚かせてしまったかな、予想もしていなかったかも。当然といえば当然で、考えなくたってただのわたしの片思いなことは明らかで。意識していない相手からの告白ほど気を遣うものはない。ましてや、ほとんど毎日顔を合わせる相手からなんて。

言わなければよかった。困らせてしまった申し訳なさに後悔の念でいっぱいになる。


「すみません、いきなりこんな…迷惑、ですよね。やっぱりわたし帰り…」

「っおい、待てって」


ドアノブに伸ばした腕を掴まれる。どうして、掴まれた腕がじりじりと熱い。このままここにいたら泣き出してしまいそうだから今ばっかりはこの手を離して欲しかった。


「言い逃げはナシだぜ」

「でも…」


ごめんなさい。聞かなかったことにしてください。玄関のタイルを見つめてそう呟いた。だって振られてしまうくらいなら返事だって聞きたくない。それすらもわがままだとわかっているけれど、前と同じただの受付嬢でいられるのならその方がよっぽどいい。遠くから見つめて、密かに想っているだけで幸せだったのに、それすらなくなってしまうなんて悲しいから。


「お前、まさかとは思うが気付いてないのか?」

「…何が、ですか?」

「これでもわかりやすくしてたつもりなんだけどな…」


息を吐いて天国さんは玄関に棒立ちになっているわたしの手を引いた。持っていた鞄が音を立てて床に落ち、身体がぶつかると同時に暖かさに包まれる。自分に起こっている出来事なのにまるで実感がないまま思考がショートして何も考えられない。抱きしめられている、わたしが、天国さんに。


「…え…あのっ、」

「悪い。ちゃんと言わないとわかんねぇよな」


背中に回された腕にぎゅうと力が込められる。すぐそばで聞こえる声がいつも聞いているものより優しいような気がして、その心地よさと緊張感の間に挟まれておかしくなりそう。微動だにできないままぴたりと密着した身体は互いに鼓動を伝え合って、わたしの心拍数と同じくらい速く鳴っているのが天国さんのものだなんて信じられない。そしてその後に続いた言葉は、もっともっと信じられなかった。


「お前が好きだ」


真っ直ぐに耳に届いた言葉は疑いようがないくらいハッキリと聞こえてわたしの頭の中を支配した。


「…ほ、本当にですか…?」

「…こんな嘘吐くかよ」

「じゃあ、夢…とか」


これはもしかして都合のいい夢なのか、だってこんなにも頭がふわふわとして、考えがまとまらない。

軽くめまいがして縋るように目の前のワイシャツを握りしめた。頼もしい胸板に頭を預けて、シャツ越しに感じる熱が呼吸に合わせて上下するのがやけにリアルに感じ取れた。今の状況にいっぱいいっぱいなのに、天国さんは大きな手でわたしの頬を包み上へ持ち上げる。


「夢じゃない」


目の前には控えめな照明に照らされる天国さんの顔。それを理解する時間もないまま近づく熱、頬にかかる髪を避けられて唇に柔らかいものが重ねられる。触れるだけのキスはひどく優しくて、それだけで思考を溶かしてしまうには十分だった。顔真っ赤だぞ、くつくつと喉の奥を鳴らして笑う天国さんの顔がじわりと滲んだ涙でぼやける。


「ったく、お前がそんなに初心だから、こっちまで恥ずかしくなるじゃねぇか」

「すみません、あんまり慣れてなくて…」

「いや、それでいい。俺で慣れてくれ」


わかったか?するりと頬を撫でながら言われなんとか頷いて返事をする。抱きしめてもらうのも、好きだと言ってもらうのも、キスされるのも、こんなにもドキドキしてしまうのだから慣れる日なんて一生来ないような気がしてくる。今までにしてきた勉強や努力より、遥かに難しい目標ができてしまった。


「が、がんばります…!」

「その意気だ」


そう言ってもう一度、今度は啄むように唇を重ねられる。熱を帯びた瞳に見つめられて身体の奥がぞくりと震えた。天国さんが今、わたしだけを見てくれている。少しずつ実感が湧いてきたこの状況でそれが何より嬉しくて幸せで、恥ずかしさを誤魔化すようにぎゅっと抱き着いた。


[ < > ]


[ back ]


- Blue Ribbon -