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四十物さんとお話してしまっていた時間を取り戻すべく、わたしはひたすらにキーボードを叩いていた。考えてしまうといけないから頭の中を目の前の書類の内容でいっぱいにしてあの言葉を追い出す。大人を揶揄うんじゃありません、ってもし次に何か言われたらきちんと言い返さないと。だいたい、こんな大人の恋愛に首を突っ込んでいないで自分のことに集中すればいいのよ。まだ高校生なんだし、あの容姿じゃあ女の子だって放って置かないだろうし。……変な口調で話したり、やたらとネガティブなところがあるからあまりモテるようにも思えないけれど…。

鬼の形相で手を動かし処理を終えた書類を保存して閉じる。この調子ならなんとか今日中に終わりそうだ。机の上に置いている少しお高いご褒美チョコレートはまだ我慢しておこう。ダイエットは一応継続中だから。一応、ね。

トントンと小さく肩を叩かれて顔を上げると同僚が小さく手で合図をしている。首を傾げて視線を動かすとそこには四十物さんを摘み出すように見送る天国さんがいた。


「…あっ…」


振り返った天国さんとちょうど視線が交じりあってしまった。逸らすタイミングを失ってがっちりと目が合ったまま天国さんはこちらへ向かってくる。思わず後退りかけて隣から肘を突かれた。そうだった、こんなに応援してくれる人がいるのだから逃げてばかりじゃダメだ。


「十四が迷惑かけたな」

「いえ、迷惑だなんてそんな。わたしも長居してしまってすみませんでした」

「あいつ、変なこと言ってなかったか?」

「えっ!へ、変なことですか…?」


変なこと、の意味合いが違うことくらいわかるけどついあの言葉を思い出してしまって上擦る声を誤魔化すように首をぶんぶんと振った。全然何も言ってないです。首に合わせて手も勢いよく振るわたしに天国さんはそれならいい、と眉間のシワを薄めて息をついた。

隣の席からすっと気配が消えた。ちらりと机を見ると小さなメモにごゆっくり、と書いてあって気を遣ってくれたのだと察する。本当に彼女には頭が上がらないな、久しぶりのチャンスなのだしちゃんと話すくらいはしないと。


「そういえば今日は事務所に戻って来られたんですね」

「あぁ。案件もだいぶ見通しがついてきたからな」

「えぇっ?もうですか?」


あの件を受けてからまだそんなに経っていないはずなんだけど、いくらなんでも早すぎる。とんでもない仕事の速さに驚くわたしの様子を笑ってから天国さんは首の後ろに手を当て目を逸らした。歯切れ悪く言葉を濁すものだから何かしてしまったのだろうかと不安になってくる。


「あー…、この前の、そのままになってたろ」

「…この前…?」

「食事。今度の金曜とかどうだ?」


仕事のことかと思って一生懸命業務を思い返していたわたしはびっくりして食い気味に前のめりになった。まさかこのタイミングで決めてもらえるなんて思ってもいなかったし、ましてやもう流されてしまったかもなんて思っていたのに。予定なんて考えるまでもなく答えはもちろん一つしかない。


「空いてます!全然空いてます!」

「じゃ、それまでに全部片付けとかねぇとな」


部屋に戻ろうと歩き出した足を止めて天国さんはこちらを振り返った。コーヒー頼んでもいいか、と眉を下げるのについ嬉しさを隠しきれず頬が緩んでしまう。こうしてコーヒーを頼んでくれるのはわたしだけだから。美味しいと言ってもらいたくてたくさん勉強も練習もしたから、出来ることならその機会はたくさん欲しい。


「任せてください。きっと前より上達したと思います!」

「そいつは楽しみだな」


そう言って笑う天国さんの目元に薄暗い色の影が落ちていることに気がついた。よく見れば少し顔色も良くないかもしれない。こんなに疲れた顔は初めて見た気がする。

そんな中でも約束を覚えていてくれたのが嬉しくて舞い上がってしまいそうな心を押し留める。まさか急いでいたのは予定を空けるため…なんてそれはないか。流石に自惚れすぎ。あまりにもあり得ない考えに1人で笑いそうになる。都合のいい考えはさておき、きっとすごく急いでやった案件でも華麗に勝訴するんだろうな。かっこよすぎます、天国さん。

給湯室に入りお湯を沸かす。少し悩んだけど結局持ってきたチョコレートはビターだし、甘いものが好きじゃなくても大丈夫だと思う。疲れた身体には糖分が一番だから。いつもより何倍も集中して淹れたコーヒーとチョコレートをお盆に乗せて天国さんの部屋の扉をノックした。


「……あれ?」


返事がない、不在なのかな。位置的にお手洗いとかだとすればすれ違っているはずなのに、給湯室にいる間は物音一つしなかった。キョロキョロと廊下を見渡しても戻ってくる気配はない。聞き逃してしまったのかと、もう一度ノックをしてもやっぱり返事はなくて悪いと思いながらそっとドアを開けて中を覗いてみた。


「……天国さん…?」


デスクの椅子に座る天国さんの姿が見えて声をかけたがやっぱり返事がない。不審に思って近づいてみるとその瞼は閉ざされていてゆっくりとした呼吸に合わせてわずかに胸が上下していた。眠っている、その事実を理解したところで手にしたお盆のバランスを崩しかけたけれどなんとか持ち堪える。疲れているだろうとは思ったけれどここまでだったなんて。バッチリ決めたリーゼントから一束こぼれ落ちた髪が顔にかかっていて、寝顔と相まって余計にあどけなく見えた。

起こしてしまわないように持ってきたコーヒーとチョコレートをデスクに置いてメモ用紙にペンを走らせる。


「お疲れ様です。無理しないでくださいね」


小さく呟いてチョコレートの隣にメモを添え、音を立てないように注意しながら部屋を出た。そっと扉を閉めたところでお盆を胸に抱きかかえて大きく息を吐き出した。

天国さんの負担になりたくない、なんて言い訳を盾にしてまた逃げようとしている自分と、支えになれたらいいな、なんて考える前向きな自分がぐるぐると回って心がずっと落ち着かないままだった。


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