02


すぅ、と息を吸い込んでから手早く内線の番号を押す。今日の来客スケジュールと照らし合わせて数分前に受付に来た依頼人の名前を軽く指で押さえて心の中で繰り返した。


『天国だ』

「…お疲れ様です。14時からご相談の△△様がお見えになりました」

『あぁ、わかった』


ガチャリと切られたほんの数秒の通話に肩の力を抜いて立ち上がった。ソファで待たせていた客を連れ、天国さんの部屋まで先導する。その間にコーヒーが飲めるか聞いておくのも忘れずに。

コンコンコン、3回小さく扉を叩けばどうぞと声が聞こえた。ドアノブを回して中に誘導し、そのまま頭を下げて部屋を出る。

デスクから立ち上がった天国さんは客を応接スペースへ案内していた。


「…はぁ~、やっぱりいいなぁ、四十物さん。何の理由もなくあそこに入れるんだもん」


相変わらず天国さんのことは遠くから眺めるのと挨拶しか出来ていないわたしはお湯を沸かしながらぼそぼそと独り言をつぶやいていた。

普通、弁護士用とお客様用の飲み物を用意するのだが入ったばかりの頃先輩から天国さんにはコーヒーは用意しなくていいと教わっていた。なんでも、淹れたコーヒーがまずいと散々文句を言われたのだとか。天国さんの部屋にはいつもコーヒーの香りが漂っている。高そうなコーヒーメーカーが置いてあるしきっとこだわりがあるんだろうな。天国さんのことは大抵憶測で考えるだけで、ほとんど何も知らないのだけれど。

ふつふつとお湯が沸きはじめているのに気がついてあわてて止めてからコーヒー豆の上に注いだ。




****




時折隣の同僚と言葉を交わしながらカタカタと目の前のキーボードを打つ。今日はもう来客の予定もないことだし、事務作業に専念できるだろう。足音と話し声が聞こえたので目を向けると、天国さんと先ほどのお客様が出てきたところだった。

雰囲気を見る限りきっと相談は成功、依頼する方向で話は進んでいるのだろう。スマートかつ爽やかにお客様を見送る天国さんがあまりにも素敵で、彼が部屋に戻るまでその後ろ姿に見とれていたら隣から小突かれた。


「…はっ、いけない…!わたしカップを片付けてくるね」


パタパタと天国さんが行った道を追いかける。もう一度ドアを3度叩けば中からはおう、と声が聞こえた。


「失礼します」


ぺこりと頭を下げて中に入り、一つだけ置かれたカップを盆に乗せてそそくさと立ち去ろうとした時、天国さんに呼び止められてわたしは危うく盆をひっくり返しそうになるのをギリギリで堪えた。


「は、はい!なんでしょう?」

「そのコーヒー、お前が淹れたのか?」

「えと、はい。そうですが…」


それがどうかしましたか?と首を傾げれば話はそれだけだったのか、そうか、と言われただけだった。話が終わった気配を察知して失礼しました、と声をかけて外に出る。扉が閉まった瞬間にはぁぁと思い切り息を吐き出した。


「…な、なんだったの…」


給湯室へ向かいながらドキドキとうるさい心臓を抑えて思考をぐるぐると巡らせる。とはいえ話しかけられたという事実にいっぱいいっぱいで何も考えられてはいないのだけれど。

たったひとつのコーヒーカップに必要以上に洗剤を出してしまってモコモコの泡でカップやスプーンを洗う。少しずつ落ち着きを取り戻したわたしの頭は短いやり取りをもう一度繰り返した。


「…はっ!」


ひとつの答えにたどり着いて、思い切り息を飲み込んだ。もしかするとコーヒーを口にした客がまずいなどと零したのではないか…?自分ではあまり飲まないのでよくわからないが、なんとなく昔親がやっていたのを見よう見まねでやっているだけで、確かに美味しいかどうかを考えたことなど一度もなかった。天国さんは先輩が淹れたコーヒーをまずいと言うのだから相当なこだわり派なのだろう。そしてあの二人が仲を深めたのは、コーヒートークに華が咲いたからなのかもしれない…。

洗い終わったカップを干して手を拭いてとぼとぼと受付まで戻る。


「ねぇわたしバリスタの勉強をした方がいいかな…?」

「急に何よ」

「コーヒーも淹れられないような女、天国さんにはふさわしくないと思って…」


PCのロックを解除してから検索バーに「バリスタ 独学」と入力しているのを見て同僚からは深いため息をもらってしまった。


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