09
「お先に失礼しますっ!」
お疲れ様、とかけられる言葉にぺこりと頭を下げてわたしは軽い足取りでバイト先を後にした。
今日は夏祭り。毎年友人と一緒に目一杯お洒落をして屋台を回って花火を見るのが恒例になっていたのでわたしは今年も随分前から予定を空けて楽しみにしていた。あの子も今日は仕事だと言っていたけれど無事に終わっただろうか、送ったメールにまだ返信はないけれど帰ってシャワーを浴びてから、下ろしたての浴衣と帯を着付けて髪もバッチリセットした。
「これでよし、と」
友人とお揃いで買った簪をまとめた髪に刺して鏡を見てバランスを整えた。もう後少しで家を出なければいけない。ちらっと携帯を見ればちょうど軽快な音と共にメールが届いた。
「…え!仕事長引いて、いけない…?うそぉ…」
約束していた友人から来た泣き顔の絵文字が多量につけられているメールにわたしも泣きたくなった。
ぽちぽちとメールの返信を送ってから再び鏡の中の自分を見る。ここまで気合を入れて、このまま出かけないのも勿体ない。行けば知り合いに会えるかもしれないし、そうでなくてもお祭り気分くらい味わって花火だけでも見てこよう。落ち込んだ気持ちを持ち直し、小さめの巾着にお財布と携帯とハンカチを入れてキーホルダーと化した豚さんの防犯ブザーをひっつかんでわたしは家を出た。
****
薄暗くなってきた通りを歩けば浮かれた様子の人々がたくさんいた。お母さんの手を引っ張って駆け出す子供を微笑ましく見送ってカラカラと下駄を鳴らしながら屋台が立ち並ぶところへ向かう。警備だろうか、真選組の人たちがいることを今年になって初めて気に止めて、もしかして総悟くんもお仕事しているのかなと思った。
1人であまりたくさん食べるのも寂しいのでラムネだけ買って雑踏の中をぶらぶらと歩く。たまに知った顔を見かけることがあっても彼氏と一緒だったりいい雰囲気だったり邪魔できるような空気でなく立ち話だけして見送ることがほとんどだった。後少しで花火が始まってしまう。今年は1人で見ることになってしまうかもしれない。
空っぽになったラムネの瓶を返しに行こうかと思った時、視界の中に見知った長髪と白い布の塊が入ってきて思わず瞬きをしてから二度見した。
「え…っと、桂さん、とエリザベスさん」
頭にエリザベエスさんのお面をつけた桂さんだ。隣を歩くエリザベスさんも同じお面をつけて手には綿あめを持っている。あのお面は屋台で売っているのだろうか。エリザベスさん、それは意味があるのだろうか。あまりに堂々と歩いているのでつい見過ごしそうに…はならない。桂さんというよりエリザベスさんが目立ちすぎである。よくバレずにいるものだと感心してしまった。
「おぉ、#name2#殿。奇遇だな」
「こんばんは、お昼ぶりですね」
お二人で来たんですか?とエリザベスさんの方を向いた時、プラカードが挙げられた。[ちょっと外しますのでごゆっくり]と書かれたプラカードをさっとどこかにしまってからエリザベスさんは人混みへと消えていった。
「行っちゃいましたね…。あれ?もしかして」
顔を見てくすりと笑うわたしにきょとんとこちらを見る桂さん。巾着からハンカチを取り出して少しだけ背伸びをしてわたしは桂さんの口元を拭った。
「焼きそばとか食べました?ふふ、ソースがついてましたよ」
「そうか、ありがとう」
ハンカチをしまってから桂さん、と声をかけそうになって寸前で声を引っ込めた。そしてこっそり小さな声でこんなところにいていいんですか、と尋ねれば彼は間髪入れずに問題ないと返してきた。
「でも、警備もいるんですよ?」
「あぁ。こういう場では逆に堂々としている方が良いのだ。万が一のために顔も隠せるようにしているから心配いらないぞ」
「お面、そのためだったんですね。だったらいいんですけど…」
ふと側を通った人たちがもうすぐ花火が始まる、と話しているのが聞こえた。もうそんな時間になってしまったのか。そろそろ移動して見られる場所を探した方がいいかもしれない。目の前の桂さんはエリザベスさんと合流しなくて良いのだろうか。
「…良かったら一緒に花火見ませんか?」
断られたらそれまで、と意を決して言った言葉に桂さんはひどく驚いているようだった。そしてすぐに優しい顔に戻ったと思えば、首を縦に振った。
「俺も今そう言おうと思っていたところだ」
奇遇だな、と笑う彼につられてわたしも笑顔になる。では行くか、と踵を返して進む桂さんの後をついて歩き出した。人の流れに逆らって歩いている桂さんがどこを目指しているのかわからない。いつも花火を見ていた場所とは全く反対方面に向かっているようだった。
人混みに流されて咄嗟に桂さんの袖を掴む。それでも離れていく距離に声をかけようと思っても、こんな人混みで名前を呼ぶわけにもいかずにいると手をぎゅっと握られて少しだけ強く引っ張られた。
「すまない、大丈夫か?人が増えてきたな」
こっちだ、と比較的空いている方へわたしを引っ張っていくと開けた場所に出た。どうやらこの先が目的地だったようであっちに花火が上がるのだと教えてくれた。
「大丈夫だったか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「少し乱れてしまったな」
そう言いながら桂さんはわたしの髪を整えてくれる。するりと前髪を撫でられてくすぐったさに思わず目を閉じた。さすが自分の髪も長いだけあって手慣れているのだろうか。手櫛で何度か髪に触れるとすぐにその手は離れていき、わたしはゆっくりと目を開けた。
「…綺麗だ」
「あ、ありがとう、ございます」
暗がりの中、遠くの提灯の明かりがわずかに届いていて桂さんの顔を照らしていた。じっとこちらを見つめるその目から視線をそらせずにいると離れたはずの手が再び伸びてくる。#name2#殿、桂さんの唇がわずかに動いて名前を紡がれた。触れられる、どこに?髪?それとも…?
その瞬間、勢いよく花火の音がして途端にピカピカと空が輝き始めた。緊張していてのぼる笛の音には気がつかなかったようだが既に予定時刻だったらしい。わたしたちはお互いの顔からぱっと目をそらして空を見上げた。
「綺麗ですね」
「あぁ、そうだな」
横目でちらりと見た桂さんと目が合う。花火ではなくずっとこちらを見ながら言うものだから、つい恥ずかしくて慌てて空へ目線を戻した。
「ちゃんと見てくださいよ」
「わかっているさ」
笑いながら桂さんもまた空を見上げた。遠くから人々の掛け声が聞こえる。
「わたし、この花火大好きなんです。小さい頃から毎年来てて。だから、桂さんと一緒に見られて良かったです」
「来年も再来年も俺と一緒だろうな」
「それはどうでしょうね」
本気なのか冗談なのか、真顔でそう言われて笑って流した。それでももしそうなったらいいのにな、と思いつつ彼との未来はいつ突然終わりが来るかわからない不安定なものなのだ。あと一歩、踏み出すことが出来たならその手を取ることだって出来るのにどうにもわたしにはまだその勇気はない。
人気のないここは周りから切り離された場所のように思えて2人きりなら逃げたり隠れたりする必要なんかないのになぁ、なんて思ってしまった。
お疲れ様、とかけられる言葉にぺこりと頭を下げてわたしは軽い足取りでバイト先を後にした。
今日は夏祭り。毎年友人と一緒に目一杯お洒落をして屋台を回って花火を見るのが恒例になっていたのでわたしは今年も随分前から予定を空けて楽しみにしていた。あの子も今日は仕事だと言っていたけれど無事に終わっただろうか、送ったメールにまだ返信はないけれど帰ってシャワーを浴びてから、下ろしたての浴衣と帯を着付けて髪もバッチリセットした。
「これでよし、と」
友人とお揃いで買った簪をまとめた髪に刺して鏡を見てバランスを整えた。もう後少しで家を出なければいけない。ちらっと携帯を見ればちょうど軽快な音と共にメールが届いた。
「…え!仕事長引いて、いけない…?うそぉ…」
約束していた友人から来た泣き顔の絵文字が多量につけられているメールにわたしも泣きたくなった。
ぽちぽちとメールの返信を送ってから再び鏡の中の自分を見る。ここまで気合を入れて、このまま出かけないのも勿体ない。行けば知り合いに会えるかもしれないし、そうでなくてもお祭り気分くらい味わって花火だけでも見てこよう。落ち込んだ気持ちを持ち直し、小さめの巾着にお財布と携帯とハンカチを入れてキーホルダーと化した豚さんの防犯ブザーをひっつかんでわたしは家を出た。
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薄暗くなってきた通りを歩けば浮かれた様子の人々がたくさんいた。お母さんの手を引っ張って駆け出す子供を微笑ましく見送ってカラカラと下駄を鳴らしながら屋台が立ち並ぶところへ向かう。警備だろうか、真選組の人たちがいることを今年になって初めて気に止めて、もしかして総悟くんもお仕事しているのかなと思った。
1人であまりたくさん食べるのも寂しいのでラムネだけ買って雑踏の中をぶらぶらと歩く。たまに知った顔を見かけることがあっても彼氏と一緒だったりいい雰囲気だったり邪魔できるような空気でなく立ち話だけして見送ることがほとんどだった。後少しで花火が始まってしまう。今年は1人で見ることになってしまうかもしれない。
空っぽになったラムネの瓶を返しに行こうかと思った時、視界の中に見知った長髪と白い布の塊が入ってきて思わず瞬きをしてから二度見した。
「え…っと、桂さん、とエリザベスさん」
頭にエリザベエスさんのお面をつけた桂さんだ。隣を歩くエリザベスさんも同じお面をつけて手には綿あめを持っている。あのお面は屋台で売っているのだろうか。エリザベスさん、それは意味があるのだろうか。あまりに堂々と歩いているのでつい見過ごしそうに…はならない。桂さんというよりエリザベスさんが目立ちすぎである。よくバレずにいるものだと感心してしまった。
「おぉ、#name2#殿。奇遇だな」
「こんばんは、お昼ぶりですね」
お二人で来たんですか?とエリザベスさんの方を向いた時、プラカードが挙げられた。[ちょっと外しますのでごゆっくり]と書かれたプラカードをさっとどこかにしまってからエリザベスさんは人混みへと消えていった。
「行っちゃいましたね…。あれ?もしかして」
顔を見てくすりと笑うわたしにきょとんとこちらを見る桂さん。巾着からハンカチを取り出して少しだけ背伸びをしてわたしは桂さんの口元を拭った。
「焼きそばとか食べました?ふふ、ソースがついてましたよ」
「そうか、ありがとう」
ハンカチをしまってから桂さん、と声をかけそうになって寸前で声を引っ込めた。そしてこっそり小さな声でこんなところにいていいんですか、と尋ねれば彼は間髪入れずに問題ないと返してきた。
「でも、警備もいるんですよ?」
「あぁ。こういう場では逆に堂々としている方が良いのだ。万が一のために顔も隠せるようにしているから心配いらないぞ」
「お面、そのためだったんですね。だったらいいんですけど…」
ふと側を通った人たちがもうすぐ花火が始まる、と話しているのが聞こえた。もうそんな時間になってしまったのか。そろそろ移動して見られる場所を探した方がいいかもしれない。目の前の桂さんはエリザベスさんと合流しなくて良いのだろうか。
「…良かったら一緒に花火見ませんか?」
断られたらそれまで、と意を決して言った言葉に桂さんはひどく驚いているようだった。そしてすぐに優しい顔に戻ったと思えば、首を縦に振った。
「俺も今そう言おうと思っていたところだ」
奇遇だな、と笑う彼につられてわたしも笑顔になる。では行くか、と踵を返して進む桂さんの後をついて歩き出した。人の流れに逆らって歩いている桂さんがどこを目指しているのかわからない。いつも花火を見ていた場所とは全く反対方面に向かっているようだった。
人混みに流されて咄嗟に桂さんの袖を掴む。それでも離れていく距離に声をかけようと思っても、こんな人混みで名前を呼ぶわけにもいかずにいると手をぎゅっと握られて少しだけ強く引っ張られた。
「すまない、大丈夫か?人が増えてきたな」
こっちだ、と比較的空いている方へわたしを引っ張っていくと開けた場所に出た。どうやらこの先が目的地だったようであっちに花火が上がるのだと教えてくれた。
「大丈夫だったか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「少し乱れてしまったな」
そう言いながら桂さんはわたしの髪を整えてくれる。するりと前髪を撫でられてくすぐったさに思わず目を閉じた。さすが自分の髪も長いだけあって手慣れているのだろうか。手櫛で何度か髪に触れるとすぐにその手は離れていき、わたしはゆっくりと目を開けた。
「…綺麗だ」
「あ、ありがとう、ございます」
暗がりの中、遠くの提灯の明かりがわずかに届いていて桂さんの顔を照らしていた。じっとこちらを見つめるその目から視線をそらせずにいると離れたはずの手が再び伸びてくる。#name2#殿、桂さんの唇がわずかに動いて名前を紡がれた。触れられる、どこに?髪?それとも…?
その瞬間、勢いよく花火の音がして途端にピカピカと空が輝き始めた。緊張していてのぼる笛の音には気がつかなかったようだが既に予定時刻だったらしい。わたしたちはお互いの顔からぱっと目をそらして空を見上げた。
「綺麗ですね」
「あぁ、そうだな」
横目でちらりと見た桂さんと目が合う。花火ではなくずっとこちらを見ながら言うものだから、つい恥ずかしくて慌てて空へ目線を戻した。
「ちゃんと見てくださいよ」
「わかっているさ」
笑いながら桂さんもまた空を見上げた。遠くから人々の掛け声が聞こえる。
「わたし、この花火大好きなんです。小さい頃から毎年来てて。だから、桂さんと一緒に見られて良かったです」
「来年も再来年も俺と一緒だろうな」
「それはどうでしょうね」
本気なのか冗談なのか、真顔でそう言われて笑って流した。それでももしそうなったらいいのにな、と思いつつ彼との未来はいつ突然終わりが来るかわからない不安定なものなのだ。あと一歩、踏み出すことが出来たならその手を取ることだって出来るのにどうにもわたしにはまだその勇気はない。
人気のないここは周りから切り離された場所のように思えて2人きりなら逃げたり隠れたりする必要なんかないのになぁ、なんて思ってしまった。