14
淡い水色がどこまでも澄み切った冬空の下でカラカラと音を立てて転がる落ち葉を箒で掃き集める。今日は朝から一段と冷え込んでいて、赤く悴んだ指先に息を吐き擦り合わせながら時折廊下を通る隊士を眺めていた。
喫茶店でアルバイトをしていたわたしは今、真選組に女中として置いてもらっている。ここに来た頃はまだ残暑が厳しかったけれど、そろそろ雪が降ってきてもおかしくない季節になっていた。あの事件の後、てっきり見張るためか囮にされる目的で拘束されると思ったらどうやら保護に近いものだったようで、屯所に住み込みで働くことになった。あれよこれよと流されるままに決まったことだけれど、案外すぐに馴染むことができて今ではここでの生活も気に入っていた。
「…今日はいないのかな」
冷たい風が庭を吹き抜けて思わず身を震わせる。すっかり冷え切った身体を抱きしめて、箒を動かす手を止めることなく庭の向こうに立つ道場の方へと目を向けた。出入りする人の顔を確認しても一向に探している人物を見つけることができない。毎朝必ず会えるわけではないし、たまにはこんな日だってあるけれど。
「誰がですか」
後ろから声をかけられて背中がびくりと跳ねる。振り返ると縁側に腰掛ける総悟くんがいた。眠そうにあくびを一つ零して柔らかそうな栗色の髪を柱へ預ける。動揺を隠して至って普通を装い、いつからいたの、と聞けばそれが半分くらいの時から、と大きな山になった落ち葉を指差した。
「で、誰を探してたんですか?」
「えっ?…ね、猫ちゃん」
「あぁ、ミケのみーちゃん」
問いかけに視線をさまよわせて、咄嗟に出てきた適当な答えを返した。そう、それ、みーちゃん!上手く誤魔化せたと舞い上がったわたしを鼻で笑った総悟くんは、そんな猫見たことないですが、と言い放った。
ぴしりと固まるわたしを尻目にさして興味なさげな総悟くんは道場へ目を向ける。それから何を言うでもなく軽く瞼を伏せた。下手なことを口にしたくなくて、もうほとんど集まりきった落ち葉を無駄に掃き続ける。
「朝からよくやるねィ」
「掃除は結構好きなんだ」
呆れた視線が手元に向けられているのに気がついて真っ赤に染まる指先を隠して笑う。確かに寒いんだけど、掃除が好きなのも嘘ではないけれど、それよりも大事なことがあるのだから仕方ない。もちろん当番なら食堂で朝食の支度をしていることもあるし、毎朝ここにいるわけでもない。
「まだ行かなくて平気?」
廊下の人通りが多くなったかと思えば隊服を着込んだ男たちが広間へ入っていくのが見えた。定刻までまだ少しあると思うけれど、総悟くんはもうそんな時間かと呟いて立ち上がり、ジャケットの裾を軽く叩いて埃を払う。
「総悟くん、いってらっしゃい」
「ん。アンタもほどほどにしろよ」
思わず緩んだ頬で頷いて、悴んでまともに動かすことも出来ないくせに全然寒さを感じてない手を胸に置いてそっと息を吐く。
あの日、格好良かったなんて思ってしまってからというものの、気が付いたら視線が彼を追いかけていた。ここで働けるように事を進めてくれたのも、さっきみたいに声を掛けてくれるのも、ちょっと物騒な言葉遣いでわかりにくいところもあるけれど優しい人なんだと思うたびに胸に広がる温かい感覚を噛み締める。
この気持ちが何なのかなんて、そんなことわかりきっている。だけど認めてしまえるほどに育ててしまったらもう後に引けなくなってしまう。だからこのままほのかな想いを秘めて、遠くから探して、たまに話せるだけで今は十分なんだ。
****
「へぇ、恋が叶う爪紅ですか?」
「そうそう、若い子達の間で流行ってるんですって」
大量の洗濯物をせっせと干しながら先輩女中の話に耳を傾ける。若い子達の括りにいつしか自分は含まれなくなったことをぼんやり考えて、微笑ましい話になんだか懐かしくなった。先輩が娘さんから聞いたらしい噂では、とある商店で深紅の爪紅を売っていて、それを着けて好きな人に会うと恋が叶うというもの。
「可愛いジンクスじゃないですか」
「ただのジンクスだと思ってるでしょう?今回のは結構すごいのよ」
先輩もはじめは信じてなかったみたいだけれど、噂はどんどん広まって一時は入手困難なほどだったらしい。挙句、実際に叶った噂をいくつも聞いてしまえば信じる人も増えてきたようで。
そんな都合のいい話があるわけない。もし本当なのだとしたら、それは呪いかなにかの類になってしまう。とはいえ頼りたくなる気持ちもわかるし、ましてそうやって恋を楽しんでる時が何だかんだ一番楽しいこともわかる。わたしが流行りに乗る年頃だったならどうにか入手しようと頑張っていたかもしれない。
「#name2#ちゃんも欲しくなったでしょ?」
「え?いや、わたしは…」
好きな人なんていないですし…。小さい声で零した言葉は完全に無視されて空っぽになった籠を抱えて腕を引かれる。途中すれ違った副長すら押し退ける勢いの先輩に歩きながらペコペコと頭を下げて、たどり着いたのは女中部屋。待ってて、とようやく解放された腕を軽く撫でて言われた通り廊下にいれば、先輩はすぐに小包を手に戻ってきた。
「はい、これ。いつも頑張ってるから、ね?」
「これって、」
「娘にせがまれて買いに行ったの。それで、#name2#ちゃんにも似合いそうだと思って」
なかなか受け取らなかったわたしに痺れを切らした先輩に腕を引かれて部屋の中に入る。机の前に座らされ勢いに負けて言われるままに手を差し出すと、温かくて優しい手にぎゅっと握られた。
「#name2#ちゃんたら働いてばっかりで。もちろん助かってるけど…。もっと甘えていいんだからね」
「先輩…」
「本当はいるんじゃないの?好きな人」
いない、と否定してしまえば終わるはずなのに、押し黙ったわたしに先輩はくすりと笑いを溢す。全部見透かされているような気がして観念しておとなしく先輩に爪紅を塗られることにした。葡萄酒のような深い紅色は指先に宝石をつけているよう感覚に陥る。やっぱり似合うわ、と微笑む先輩に照れ臭くて笑い返すので精一杯だった。
ジンクス通りならこれをつけて想い人に会えばいい。とっくにわかっていたはずだった。総悟くんが好きだなんて。叶うはずがないとか、向こうにはそんなつもりはないとか、気まずくなりたくないとか、逃げる理由がたくさんありすぎてずっとずっと蓋をしてきたけれど。
「もしも、本当にもしもなんですけど…、わたしの恋が叶ったら報告します」
「楽しみにしてるわね」
ほんの少し、頑張ってみるのも悪くないのかなと思った。
****
どうやって会おうか。夕飯の後片付けをしてテーブルを布巾で拭きながら作戦を練る。先輩方はもう勤務時間を終えてここにはわたし1人。住み込みなこともあって大抵は最後の片付けまで残ることにしているけれど、どうにも夜の食堂は不気味で仕方ない。
第一、会えばいいとはアバウトすぎる。会うの定義なんて曖昧で、それこそ廊下ですれ違っただけでも会った内に入ってしまうのでは?と思う。
「や、それはさすがにないか」
そんなことで恋が叶ってしまったら今頃全ての恋する乙女に恋人が出来るだろう。そしてわたしももうクリア済みになってしまう。そんなわけない。会うというのは多分それなりにちゃんと顔を合わせて話したりだとか、そういうことなんだろう。そうだということにしておく。
「……会えるタイミングは、多分結構あるんだけどな」
「へぇ、誰に?」
「ひっ…!…び、びっくりした…」
一人きりの怖さを消すように言っていた独り言に返事があるなんて思わない。いつの間に来ていたのか、とにかく声の主が総悟くんだとわかって安堵する。普通に声かけてよ、と半ば八つ当たりのようなことを言って作業を再開すると、当然ながら普通にかけましたと言い返されて押し黙るしかなかった。
「で、#name2#。また猫でも探してたんですかィ」
「…え、まって、もしかして聞いてた…?」
「聞こえたんです」
さっきまでのわたし、なんて言ってた?総悟くんに、とは言ってないはず。記憶を辿っては赤くなったり青くなったりするわたしと正反対に総悟くんの顔は何一つ表情が変わらないまま、少し不機嫌そうな目で見られていて居た堪れず視線を下に落とした。隠し事をしたいわけではないのに、よりによって一番言えない人に問い詰められてしまうなんて。
一向に引いてくれなさそうな雰囲気に最後のテーブルを意味もなく拭き続けているととうとうため息が聞こえた。わたしの方もいい加減この空気に耐えられなくて恐る恐る顔をあげてみる。
「あ、あの、内緒…じゃだめかな?」
「……仕方ないですね、アイス奢りな」
予想外にすぐに折れてくれた総悟くんに安心した反面、ちょっと拍子抜けだった。なんて言って更に機嫌を損ねてしまったら大変だからそこは黙っておく。終わったらコンビニな、とわたしの手元を指差して総悟くんは食堂を後にした。
あれ、これって、そういうこと?実際にはもう会っているし話だってしているけれど、2人で出掛けたら流石にちゃんと達成したことになるはずだ。
待ってくれていた総悟くんに駆け寄る前に両手を広げてどこも欠けていないか確認して1人小さく気合いを入れる。こんなことは前にもあったはずなのに、今日は特別な気がしてそっと深呼吸をして緊張を紛らわせた。屯所を出ると寒そうに肩をすくめる総悟くんは羽織りの袖に手を突っ込んで背中を丸める。乾燥した空気が容赦無く体温を奪ってくる。
「こんなに寒いのにアイスなの?」
「真冬に食べるアイスは美味いって言うからねィ」
「確かに聞いたことはある…けど、出来れば炬燵で食べたいなぁ」
屯所に炬燵買って欲しいね、と笑うと昔はあったのだと教えてくれた。土方さんが理不尽にも片付けて以来なくなったと聞いて、きっと総悟くんや近藤さんが炬燵から出てこなくなったのだろうと容易に想像が出来た。
真っ暗な夜道に明るく輝きを放つコンビニにお客さんは誰もいない。店員のおばちゃんが暇そうにタバコを並べていて、入店音にはほんの少し目線を上げるだけだった。
「何にする?」
アイス売り場を覗き込んで目ぼしいものを探す。特にこれといって惹かれるものがなくて迷ったときの定番に手を伸ばして隣の総悟くんを見上げた。
「俺は肉まんにしやす」
「えっアイスは?わたしもそうしよっかな…」
「残念、ラス1です」
ずるい、と抗議するも交換条件なことを思い出して口を閉ざした。それをわかっている総悟くんはニヤリと口角を上げて勝ち誇ったように笑う。そんな顔されたらこれ以上文句も言えない。本当にずるい。
ほら早く買ってきてくだせェ。背中を押されて、肉まんをおばちゃんに頼んで手に持っていた自分用のアイスをレジに置く。袋を分けるか聞かれたけれど、小さな抵抗として一緒に入れてもらった。
コンビニの前で待つ総悟くんに袋の中身を見て軽く睨まれたけれど気にしないで肉まんを手渡す。包越しの熱に冷えた指先がじんわり暖かくて、やっぱりアイスを買ったことを少し後悔した。
「寒いのによく食うねィ」
「…せっかくだし」
別に買う必要はなかったけど強がってしまったのだから仕方ない。目線の先に紅に塗られた爪があるような気がして、まさか総悟くんがジンクスを知っているわけはないと思うけどちょっと恥ずかしくて指先を隠した。
「…っつめたぁ……」
勢いに任せて齧った水色のソーダアイスは口の中でシャリシャリと崩れて熱を奪う。一口目から絶望感に襲われて気が遠くなったところで不意に手首を掴まれて、総悟くんは反対側からガブリとアイスを齧った。
よりによってガ○ガ○君のチョイスはどうなんだと呆れた目線も、冷たさに顰められた眉根も気にならないくらい掴まれたところに意識が向いて、鼓動が速くなっていく。普通にしていないと、変に思われたくない。
「ねぇ、あったかいのと冷たいの一緒に食べるとお腹壊すよ」
「そしたら責任取って看病してもらうんで」
体調を崩されたら困るな、と思ったけれど付き切りで看病するのはちょっと悪くないかも。早速明日から仮病で休もうとしている総悟くんにはしっかり釘を刺すけれど。
帰り道なら左。だけど総悟くんは迷わず右に曲がって食べ終えた包紙を渡してくる。受け取ったそれを袋に入れて、もう少し一緒にいられるのが嬉しくてのんびり歩く総悟くんの名を呼んだ。
「…いつもありがとね」
ぴた、と止まった足。何がと声に出すわけではなかったけれど、顔にありありと書いてある疑問にくすりと笑いが溢れる。いつも余裕そうで、年下なのにしっかりしていて。そんな彼の意表をつけると大人気ないけれど嬉しくなっちゃう。
「総悟くんには感謝してるの」
「何の話ですかィ」
長く勤めたバイト先を辞める寂しさとか、急に環境が変わることへの不安とか。そんな小さなものに気が付いて、いつも気にかけてくれていた。ベテランの先輩たちの足を引っ張らないように気張っていた初めの頃からずっと。いきなり何を言ってるんだ、という表情を見る限り、きっと総悟くんにとっては普通のことだったのかもしれないけれど。
「ねぇ、あとちょっと食べない?」
「腹壊すのは御免でさァ」
「…看病してあげるのに」
いい加減口の中が冷たすぎて感覚が鈍ってきた。夏なら溶けてしまう前にと焦るのに、全然そんな気配はなくてやっぱり冬に外で食べるものじゃないと再認識する。どうにか最後の一口を押し込んで指先を擦り合わせる。
#name2#、と名前を呼ばれて視線を上げたときだった。
街灯とか、お月様とか、星空とか。いろんな明かりが視界から消えて目の前が暗くなる。ふわりと近づく温もりと冷え切った耳たぶを掠って持ち上げられた顔。
息をする間もなく柔らかく触れた熱が体の芯まで冷え切ってしまいそうだったわたしを一瞬で熱くさせる。
「……っ…え、…?」
ほんの1秒にも満たない時間がまるで止まってしまったように永く感じる。栗色の髪から覗く伏せられた瞼が開き、赤みがかった瞳がわたしを捕らえた。いつも向けられる呆れた目線でもなくて、怠そうに見廻りをしているときの顔でもなくて、冗談を言って笑っている時の表情でも、武器を構えたときのギラギラしたものでもなくて。見たことのない真剣な眼差しに身動きが取れなくなる。
「…寒そうだったんで」
「…さ、さむそうって、寒いけど、……なんで…」
受け止めきれなくて落とした視線が宙を泳ぐ。こんなの期待しちゃう、だめ。喜んでいいのか悪いのか、頭がいっぱいになって視界の端がじわりとぼやける。
「総悟くんは、寒そうな人みんなに、キス…するの?」
「はぁ?そんなわけないだろ」
「じゃ、じゃあなんで…」
「……アンタこそ、キスされれば誰にでもそんな顔するんですか」
そんなわけない、と否定の言葉を言ってから隠すように両手で頬を覆った。こんなに緩み切った頬も茹で蛸のような顔も、今更隠したって遅いのだけど。
「え…どど、どんな顔…?」
「アホみたいな顔」
「もう!ばか!」
まだ熱い頬を冷ましたくて逃げるように歩き出す。冷たくて震えていた時とどっちがマシだっただろうか。パタパタと手で仰ぐだけでも冷たい夜風が当たって気持ちいい。それなのに、唇の感覚が蘇ってきてまた熱が戻ってくる。
おい、待ちなせェ、そんな声が聞こえてきても無視していたら、手を強く引かれて危うく転び掛けたのを何とか持ち堪える。揶揄わないで、恥ずかしさを隠しきれなくてぎゅっと瞑った目は、反応がない総悟くんに負けて恐る恐る開けてみる。
「…好きなんでさァ」
「……?」
「#name2#のことが、好きなんです」
言葉を理解すると同時に目の前がクラクラと揺れている感覚に陥る。全身の血が顔に集まっているくらいに。俯く総悟くんの顔が見たいような、怖くて見たくないような。
「側に置いておけば満足出来ると思った」
だから強引に立場を利用してでも手の届くところにいさせたのに。馬鹿面してヘラヘラ笑ってればそれでよかったのに。まるで拗ねた子供のような声で言いながら、握られたままの手に力を込められた。
「…そ、そうごくん…?」
「そんなんじゃもう全然足りない」
俺だけのものになってくだせェ。まるで都合のいい夢を見ているような、今まで想像したこともないような言葉に胸が苦しいほどに高鳴って息が上手く吸えなくなる。
「返事は、はいかYESしか認めないんで」
ようやく上げられた顔は想像より遥かに切羽詰まった余裕のない表情。まさか、彼がこんな顔をするなんて。どっと緊張していたのが解けたように気持ちが軽くなる。それ以外の返事なんてするつもりはないのに、理不尽な物言いについ笑いが溢れてしまった。
「ふふ、それは迷っちゃうな」
わざと少し意地悪に焦らしていつものお返し。ムッとした顔をされても可愛いなと思えるくらいの余裕が出てきて、手を握り返しそっと近づいて背伸びをする。
どちらからともなく触れた熱が、どうかこのまま冷めないでいて。
喫茶店でアルバイトをしていたわたしは今、真選組に女中として置いてもらっている。ここに来た頃はまだ残暑が厳しかったけれど、そろそろ雪が降ってきてもおかしくない季節になっていた。あの事件の後、てっきり見張るためか囮にされる目的で拘束されると思ったらどうやら保護に近いものだったようで、屯所に住み込みで働くことになった。あれよこれよと流されるままに決まったことだけれど、案外すぐに馴染むことができて今ではここでの生活も気に入っていた。
「…今日はいないのかな」
冷たい風が庭を吹き抜けて思わず身を震わせる。すっかり冷え切った身体を抱きしめて、箒を動かす手を止めることなく庭の向こうに立つ道場の方へと目を向けた。出入りする人の顔を確認しても一向に探している人物を見つけることができない。毎朝必ず会えるわけではないし、たまにはこんな日だってあるけれど。
「誰がですか」
後ろから声をかけられて背中がびくりと跳ねる。振り返ると縁側に腰掛ける総悟くんがいた。眠そうにあくびを一つ零して柔らかそうな栗色の髪を柱へ預ける。動揺を隠して至って普通を装い、いつからいたの、と聞けばそれが半分くらいの時から、と大きな山になった落ち葉を指差した。
「で、誰を探してたんですか?」
「えっ?…ね、猫ちゃん」
「あぁ、ミケのみーちゃん」
問いかけに視線をさまよわせて、咄嗟に出てきた適当な答えを返した。そう、それ、みーちゃん!上手く誤魔化せたと舞い上がったわたしを鼻で笑った総悟くんは、そんな猫見たことないですが、と言い放った。
ぴしりと固まるわたしを尻目にさして興味なさげな総悟くんは道場へ目を向ける。それから何を言うでもなく軽く瞼を伏せた。下手なことを口にしたくなくて、もうほとんど集まりきった落ち葉を無駄に掃き続ける。
「朝からよくやるねィ」
「掃除は結構好きなんだ」
呆れた視線が手元に向けられているのに気がついて真っ赤に染まる指先を隠して笑う。確かに寒いんだけど、掃除が好きなのも嘘ではないけれど、それよりも大事なことがあるのだから仕方ない。もちろん当番なら食堂で朝食の支度をしていることもあるし、毎朝ここにいるわけでもない。
「まだ行かなくて平気?」
廊下の人通りが多くなったかと思えば隊服を着込んだ男たちが広間へ入っていくのが見えた。定刻までまだ少しあると思うけれど、総悟くんはもうそんな時間かと呟いて立ち上がり、ジャケットの裾を軽く叩いて埃を払う。
「総悟くん、いってらっしゃい」
「ん。アンタもほどほどにしろよ」
思わず緩んだ頬で頷いて、悴んでまともに動かすことも出来ないくせに全然寒さを感じてない手を胸に置いてそっと息を吐く。
あの日、格好良かったなんて思ってしまってからというものの、気が付いたら視線が彼を追いかけていた。ここで働けるように事を進めてくれたのも、さっきみたいに声を掛けてくれるのも、ちょっと物騒な言葉遣いでわかりにくいところもあるけれど優しい人なんだと思うたびに胸に広がる温かい感覚を噛み締める。
この気持ちが何なのかなんて、そんなことわかりきっている。だけど認めてしまえるほどに育ててしまったらもう後に引けなくなってしまう。だからこのままほのかな想いを秘めて、遠くから探して、たまに話せるだけで今は十分なんだ。
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「へぇ、恋が叶う爪紅ですか?」
「そうそう、若い子達の間で流行ってるんですって」
大量の洗濯物をせっせと干しながら先輩女中の話に耳を傾ける。若い子達の括りにいつしか自分は含まれなくなったことをぼんやり考えて、微笑ましい話になんだか懐かしくなった。先輩が娘さんから聞いたらしい噂では、とある商店で深紅の爪紅を売っていて、それを着けて好きな人に会うと恋が叶うというもの。
「可愛いジンクスじゃないですか」
「ただのジンクスだと思ってるでしょう?今回のは結構すごいのよ」
先輩もはじめは信じてなかったみたいだけれど、噂はどんどん広まって一時は入手困難なほどだったらしい。挙句、実際に叶った噂をいくつも聞いてしまえば信じる人も増えてきたようで。
そんな都合のいい話があるわけない。もし本当なのだとしたら、それは呪いかなにかの類になってしまう。とはいえ頼りたくなる気持ちもわかるし、ましてそうやって恋を楽しんでる時が何だかんだ一番楽しいこともわかる。わたしが流行りに乗る年頃だったならどうにか入手しようと頑張っていたかもしれない。
「#name2#ちゃんも欲しくなったでしょ?」
「え?いや、わたしは…」
好きな人なんていないですし…。小さい声で零した言葉は完全に無視されて空っぽになった籠を抱えて腕を引かれる。途中すれ違った副長すら押し退ける勢いの先輩に歩きながらペコペコと頭を下げて、たどり着いたのは女中部屋。待ってて、とようやく解放された腕を軽く撫でて言われた通り廊下にいれば、先輩はすぐに小包を手に戻ってきた。
「はい、これ。いつも頑張ってるから、ね?」
「これって、」
「娘にせがまれて買いに行ったの。それで、#name2#ちゃんにも似合いそうだと思って」
なかなか受け取らなかったわたしに痺れを切らした先輩に腕を引かれて部屋の中に入る。机の前に座らされ勢いに負けて言われるままに手を差し出すと、温かくて優しい手にぎゅっと握られた。
「#name2#ちゃんたら働いてばっかりで。もちろん助かってるけど…。もっと甘えていいんだからね」
「先輩…」
「本当はいるんじゃないの?好きな人」
いない、と否定してしまえば終わるはずなのに、押し黙ったわたしに先輩はくすりと笑いを溢す。全部見透かされているような気がして観念しておとなしく先輩に爪紅を塗られることにした。葡萄酒のような深い紅色は指先に宝石をつけているよう感覚に陥る。やっぱり似合うわ、と微笑む先輩に照れ臭くて笑い返すので精一杯だった。
ジンクス通りならこれをつけて想い人に会えばいい。とっくにわかっていたはずだった。総悟くんが好きだなんて。叶うはずがないとか、向こうにはそんなつもりはないとか、気まずくなりたくないとか、逃げる理由がたくさんありすぎてずっとずっと蓋をしてきたけれど。
「もしも、本当にもしもなんですけど…、わたしの恋が叶ったら報告します」
「楽しみにしてるわね」
ほんの少し、頑張ってみるのも悪くないのかなと思った。
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どうやって会おうか。夕飯の後片付けをしてテーブルを布巾で拭きながら作戦を練る。先輩方はもう勤務時間を終えてここにはわたし1人。住み込みなこともあって大抵は最後の片付けまで残ることにしているけれど、どうにも夜の食堂は不気味で仕方ない。
第一、会えばいいとはアバウトすぎる。会うの定義なんて曖昧で、それこそ廊下ですれ違っただけでも会った内に入ってしまうのでは?と思う。
「や、それはさすがにないか」
そんなことで恋が叶ってしまったら今頃全ての恋する乙女に恋人が出来るだろう。そしてわたしももうクリア済みになってしまう。そんなわけない。会うというのは多分それなりにちゃんと顔を合わせて話したりだとか、そういうことなんだろう。そうだということにしておく。
「……会えるタイミングは、多分結構あるんだけどな」
「へぇ、誰に?」
「ひっ…!…び、びっくりした…」
一人きりの怖さを消すように言っていた独り言に返事があるなんて思わない。いつの間に来ていたのか、とにかく声の主が総悟くんだとわかって安堵する。普通に声かけてよ、と半ば八つ当たりのようなことを言って作業を再開すると、当然ながら普通にかけましたと言い返されて押し黙るしかなかった。
「で、#name2#。また猫でも探してたんですかィ」
「…え、まって、もしかして聞いてた…?」
「聞こえたんです」
さっきまでのわたし、なんて言ってた?総悟くんに、とは言ってないはず。記憶を辿っては赤くなったり青くなったりするわたしと正反対に総悟くんの顔は何一つ表情が変わらないまま、少し不機嫌そうな目で見られていて居た堪れず視線を下に落とした。隠し事をしたいわけではないのに、よりによって一番言えない人に問い詰められてしまうなんて。
一向に引いてくれなさそうな雰囲気に最後のテーブルを意味もなく拭き続けているととうとうため息が聞こえた。わたしの方もいい加減この空気に耐えられなくて恐る恐る顔をあげてみる。
「あ、あの、内緒…じゃだめかな?」
「……仕方ないですね、アイス奢りな」
予想外にすぐに折れてくれた総悟くんに安心した反面、ちょっと拍子抜けだった。なんて言って更に機嫌を損ねてしまったら大変だからそこは黙っておく。終わったらコンビニな、とわたしの手元を指差して総悟くんは食堂を後にした。
あれ、これって、そういうこと?実際にはもう会っているし話だってしているけれど、2人で出掛けたら流石にちゃんと達成したことになるはずだ。
待ってくれていた総悟くんに駆け寄る前に両手を広げてどこも欠けていないか確認して1人小さく気合いを入れる。こんなことは前にもあったはずなのに、今日は特別な気がしてそっと深呼吸をして緊張を紛らわせた。屯所を出ると寒そうに肩をすくめる総悟くんは羽織りの袖に手を突っ込んで背中を丸める。乾燥した空気が容赦無く体温を奪ってくる。
「こんなに寒いのにアイスなの?」
「真冬に食べるアイスは美味いって言うからねィ」
「確かに聞いたことはある…けど、出来れば炬燵で食べたいなぁ」
屯所に炬燵買って欲しいね、と笑うと昔はあったのだと教えてくれた。土方さんが理不尽にも片付けて以来なくなったと聞いて、きっと総悟くんや近藤さんが炬燵から出てこなくなったのだろうと容易に想像が出来た。
真っ暗な夜道に明るく輝きを放つコンビニにお客さんは誰もいない。店員のおばちゃんが暇そうにタバコを並べていて、入店音にはほんの少し目線を上げるだけだった。
「何にする?」
アイス売り場を覗き込んで目ぼしいものを探す。特にこれといって惹かれるものがなくて迷ったときの定番に手を伸ばして隣の総悟くんを見上げた。
「俺は肉まんにしやす」
「えっアイスは?わたしもそうしよっかな…」
「残念、ラス1です」
ずるい、と抗議するも交換条件なことを思い出して口を閉ざした。それをわかっている総悟くんはニヤリと口角を上げて勝ち誇ったように笑う。そんな顔されたらこれ以上文句も言えない。本当にずるい。
ほら早く買ってきてくだせェ。背中を押されて、肉まんをおばちゃんに頼んで手に持っていた自分用のアイスをレジに置く。袋を分けるか聞かれたけれど、小さな抵抗として一緒に入れてもらった。
コンビニの前で待つ総悟くんに袋の中身を見て軽く睨まれたけれど気にしないで肉まんを手渡す。包越しの熱に冷えた指先がじんわり暖かくて、やっぱりアイスを買ったことを少し後悔した。
「寒いのによく食うねィ」
「…せっかくだし」
別に買う必要はなかったけど強がってしまったのだから仕方ない。目線の先に紅に塗られた爪があるような気がして、まさか総悟くんがジンクスを知っているわけはないと思うけどちょっと恥ずかしくて指先を隠した。
「…っつめたぁ……」
勢いに任せて齧った水色のソーダアイスは口の中でシャリシャリと崩れて熱を奪う。一口目から絶望感に襲われて気が遠くなったところで不意に手首を掴まれて、総悟くんは反対側からガブリとアイスを齧った。
よりによってガ○ガ○君のチョイスはどうなんだと呆れた目線も、冷たさに顰められた眉根も気にならないくらい掴まれたところに意識が向いて、鼓動が速くなっていく。普通にしていないと、変に思われたくない。
「ねぇ、あったかいのと冷たいの一緒に食べるとお腹壊すよ」
「そしたら責任取って看病してもらうんで」
体調を崩されたら困るな、と思ったけれど付き切りで看病するのはちょっと悪くないかも。早速明日から仮病で休もうとしている総悟くんにはしっかり釘を刺すけれど。
帰り道なら左。だけど総悟くんは迷わず右に曲がって食べ終えた包紙を渡してくる。受け取ったそれを袋に入れて、もう少し一緒にいられるのが嬉しくてのんびり歩く総悟くんの名を呼んだ。
「…いつもありがとね」
ぴた、と止まった足。何がと声に出すわけではなかったけれど、顔にありありと書いてある疑問にくすりと笑いが溢れる。いつも余裕そうで、年下なのにしっかりしていて。そんな彼の意表をつけると大人気ないけれど嬉しくなっちゃう。
「総悟くんには感謝してるの」
「何の話ですかィ」
長く勤めたバイト先を辞める寂しさとか、急に環境が変わることへの不安とか。そんな小さなものに気が付いて、いつも気にかけてくれていた。ベテランの先輩たちの足を引っ張らないように気張っていた初めの頃からずっと。いきなり何を言ってるんだ、という表情を見る限り、きっと総悟くんにとっては普通のことだったのかもしれないけれど。
「ねぇ、あとちょっと食べない?」
「腹壊すのは御免でさァ」
「…看病してあげるのに」
いい加減口の中が冷たすぎて感覚が鈍ってきた。夏なら溶けてしまう前にと焦るのに、全然そんな気配はなくてやっぱり冬に外で食べるものじゃないと再認識する。どうにか最後の一口を押し込んで指先を擦り合わせる。
#name2#、と名前を呼ばれて視線を上げたときだった。
街灯とか、お月様とか、星空とか。いろんな明かりが視界から消えて目の前が暗くなる。ふわりと近づく温もりと冷え切った耳たぶを掠って持ち上げられた顔。
息をする間もなく柔らかく触れた熱が体の芯まで冷え切ってしまいそうだったわたしを一瞬で熱くさせる。
「……っ…え、…?」
ほんの1秒にも満たない時間がまるで止まってしまったように永く感じる。栗色の髪から覗く伏せられた瞼が開き、赤みがかった瞳がわたしを捕らえた。いつも向けられる呆れた目線でもなくて、怠そうに見廻りをしているときの顔でもなくて、冗談を言って笑っている時の表情でも、武器を構えたときのギラギラしたものでもなくて。見たことのない真剣な眼差しに身動きが取れなくなる。
「…寒そうだったんで」
「…さ、さむそうって、寒いけど、……なんで…」
受け止めきれなくて落とした視線が宙を泳ぐ。こんなの期待しちゃう、だめ。喜んでいいのか悪いのか、頭がいっぱいになって視界の端がじわりとぼやける。
「総悟くんは、寒そうな人みんなに、キス…するの?」
「はぁ?そんなわけないだろ」
「じゃ、じゃあなんで…」
「……アンタこそ、キスされれば誰にでもそんな顔するんですか」
そんなわけない、と否定の言葉を言ってから隠すように両手で頬を覆った。こんなに緩み切った頬も茹で蛸のような顔も、今更隠したって遅いのだけど。
「え…どど、どんな顔…?」
「アホみたいな顔」
「もう!ばか!」
まだ熱い頬を冷ましたくて逃げるように歩き出す。冷たくて震えていた時とどっちがマシだっただろうか。パタパタと手で仰ぐだけでも冷たい夜風が当たって気持ちいい。それなのに、唇の感覚が蘇ってきてまた熱が戻ってくる。
おい、待ちなせェ、そんな声が聞こえてきても無視していたら、手を強く引かれて危うく転び掛けたのを何とか持ち堪える。揶揄わないで、恥ずかしさを隠しきれなくてぎゅっと瞑った目は、反応がない総悟くんに負けて恐る恐る開けてみる。
「…好きなんでさァ」
「……?」
「#name2#のことが、好きなんです」
言葉を理解すると同時に目の前がクラクラと揺れている感覚に陥る。全身の血が顔に集まっているくらいに。俯く総悟くんの顔が見たいような、怖くて見たくないような。
「側に置いておけば満足出来ると思った」
だから強引に立場を利用してでも手の届くところにいさせたのに。馬鹿面してヘラヘラ笑ってればそれでよかったのに。まるで拗ねた子供のような声で言いながら、握られたままの手に力を込められた。
「…そ、そうごくん…?」
「そんなんじゃもう全然足りない」
俺だけのものになってくだせェ。まるで都合のいい夢を見ているような、今まで想像したこともないような言葉に胸が苦しいほどに高鳴って息が上手く吸えなくなる。
「返事は、はいかYESしか認めないんで」
ようやく上げられた顔は想像より遥かに切羽詰まった余裕のない表情。まさか、彼がこんな顔をするなんて。どっと緊張していたのが解けたように気持ちが軽くなる。それ以外の返事なんてするつもりはないのに、理不尽な物言いについ笑いが溢れてしまった。
「ふふ、それは迷っちゃうな」
わざと少し意地悪に焦らしていつものお返し。ムッとした顔をされても可愛いなと思えるくらいの余裕が出てきて、手を握り返しそっと近づいて背伸びをする。
どちらからともなく触れた熱が、どうかこのまま冷めないでいて。