コン・テネレッツァ05


濃い霧の中で岩陰に身を潜めて気配が消えるのを待つ。バロン兵は血眼にわたしたちを探していて兎1匹見逃さないつもりらしい。国に追われるようなことをした覚えはないのに仲間だった彼らに命を狙われている。こんなもの、セシルが下す命令のはずがない。何よりここには彼の愛する息子がいるのだから。


「…行った、かな?」


カインと顔を見合わせて、落ち込むセオドアくんの背を支えて元いた道へ戻る。城を出てすぐに後を追ってきたバロン兵を撒いて逃げ込んだミストの洞窟。このまま進んでも、その先は断崖絶壁が行手を阻んでいて袋の鼠になるより他ない。上手く逃げたというよりは追い込まれているというほうが近いように思えた。


「どうしましょうか…」

「引き返した方がいいかもしれないわね」

「いや、真っ直ぐ進むぞ」


あの崖が出来上がった時に居合わせた人が自信を持ってそう告げる。素直にどうやって?と首を傾げるセオドアくんを横目に嫌な予感しかしなかったけれど、いつ追っ手が来るともわからない状況では他に選択肢はなさそうだ。




****




申し訳程度にかけたブリンクの呪文はもう効果を失ってしまっていた。下を見たら身体がすくんで動けなくなりそうで、手元だけに集中して掴めそうな場所を探す。かれこれどのくらい経っただろうか、崖を素手で登ると言い始めたカインに続いて岩に張り付いてから。


「セオドアくん、大丈夫?」

「…はい!」


カインが先導し、わたしとセオドアくんはほぼ同列で登っていたはずなのに、いつの間にかセオドアくんとは見下ろさなければいけないくらい距離が空いていた。体力の差は当然だけれど、装備も騎士と魔道士では重量差が大きい。時折足場になるところで休みながらとはいえ余裕のなさそうな声に不安になって様子を伺うために目線を落とした。

まだ幼いセオドアくんが指に血を滲ませて懸命に僅かな岩の突起を握りしめている。怖がってはいなさそうだけれど体力がいつまで持つかが不安になってくる。


「ねぇ、もう少し待てない?」

「日が暮れるぞ」

「でも…」


暗闇で登ることはできないから彼の言うことは間違ってない。多少無茶をしてでも進まなくちゃいけないことはわかっている。険しい表情のセオドアくんと目が合ってどうすべきか心が揺れ、せめて回復呪文をかけてあげたいと上を見るとカインが足場に身を下ろしたところだった。


「ぼくなら大丈夫です!」

「セオドアくん…」


カインがいる足場に手が届いたところで引っ張り上げてもらって何とか一時的に身体を休めることができた。ここまで来れたら頂上まではあと少し。セオドアくんの到着を待って少し休憩してから進んでも十分に間に合いそうだ。


「父さんや…、母さんを……、探すんだ…っ?!」

「…っ!!」


セオドアくんの掴んだところが体重を支えきれず崩れ、ぐらりと傾いた身体はそのまま奈落の底へと吸い込まれて行く。届くはずがない手を伸ばして身を乗り出したわたしの肩をカインが掴んで引き戻す。


「そんな、セオドアくん…!」

「セオドア、大丈夫か?」

「…は、はい!」


暗闇の向こうから返事が聞こえた。反響するその声を聞く限り無事のようだけど姿が見えないから不安に駆られる。


「待っていて、すぐに行くわ!」

「いや、私が行こう」


おまえは先に行ってくれとまたも身を乗り出していたわたしの肩を掴んで制された。でも、怪我をしているかもしれない。大切な2人の子が目の前で傷ついているのを見過ごすことなんか出来なくて、食い下がるわたしを諭すように名を呼ばれる。


「また登り直したいか?」

「それは……。でも、セオドアくんのためなら」

「大丈夫だ、それに私が行く方が早いだろう」


先に行って様子を見ておいてくれと付け加えられれば、尤もな言葉にそれ以上言い返すことは出来なかった。セオドアくんの手当てをお願いしてブリンクにヘイストに思いつく限りの補助呪文を掛けて飛び降りたカインを見送った。




****




崖の最頂点。大地が隆起して巨大な壁のようになっているここは人の手で作られたものでも自然が生み出したものでもない。あの日、バロンまで届いた揺れの大きさを思い出しても巻き込まれたカインやセシルが無事でいてくれたのは奇跡だったと言わざるを得ない。

血が滲んだ手の傷を塞いで登ってきた方の空を振り返る。母国の城を見据えたわたしの目に飛び込んできたのは一隻の飛空艇だった。


「あれは…赤い翼…!」


セオドアくんが話してくれた赤い翼に起きた悲劇。あんなことがあったのに誰がどこへ行こうというのだろう。

遠くに見えていた船体がどんどん近付いてきて、そしてわたしを通り過ぎたところで停滞した。バロン兵らしき人物が舵を操作していることはわかったけれど、彼もまた人ではなくなっているのだろうか。


「久しいな、#name1#」

「……なんで…」


風に靡く金色が太陽の光を受けて透き通る。声も姿も間違いなくわたしがずっと焦がれていた人。優しく名を呼ばれて思考が停止しかける。軽快に跳び上がり、目の前に降り立つ身のこなしが、その鎧が偽りでないことを確かに示している。

カイン。喉まで出掛かった呼びたかった名前を寸前で押し留める。

ここにいるのがカインなのだとしたら、あの人は?

一歩、二歩、距離を縮められて後ろへ下がる。たった今登ってきた崖淵に踵が差し掛かってその下へ目を向けた。2人は足場で休んでいるようで、死角になった赤い翼には気づいていないらしい。無事であることに安堵すると同時に改めて彼の顔を見る。竜胆色の紅の引かれた唇が弧を描いてまたわたしの名を呼んだ。


「探していたんだぞ、#name1#」

「…あなたがここにいるはずがないわ…だって、」


口を閉ざしたわたしを尻目に崖下を覗き込んだ竜の口元が面白くないと言わんばかりに真一文字に結ばれる。そういうことか、吐き捨てた言葉は数個の小石と共に崖下へ消えていく。


「フン、まだ生きていたとは。死に損ないめ」


あの人を知っているの。一体誰なの。どうしてここに、赤い翼にいるの。聞きたいことはたくさんあるのにそのどれも言葉にすることが出来なくてただ彼の顔を見つめる。真っ直ぐに見つめあって、俺と共に来い。そう告げられて、わたしはまだ何も言えないまま首を横に振った。


「俺より偽物アイツを選ぶのか」

「そうじゃない、けど…」


ずっと、子供の頃からずっと誰よりもカインを見てきた。会えない間だって忘れたことなんかない。だから、どちらかが偽物ならすぐにわかるはずなのに。


「わたしにはどっちも本当のカインにしか思えないよ」

「#name1#…」


だからどっちか1人を選ぶことなんて本当は出来ない。だけどもしもどちらか一方をと言うのなら、先に出会っていた彼にするべきだと思った。

わたしの答えにカインは槍を握りしめ、くるりと回したと思えばその鋒を一点に向ける。鋭い刃がキラリと光って綺麗だと思うと同時に恐ろしさが込み上げてくる。


「そうだとすれば、やはり決着をつけねばならんようだ」

「……え、?」

「奴はいずれこの手でとどめを刺す。そのときは#name1#、お前を連れて行く」


待っていろ。そう言ったカインの声がひどく優しくてなんと言っていいかわからなくなる。彼を拒んで正解だったのかも今になって自信がない。

伸ばされた手がわたしの頭に置かれて、その瞬間から息を吸うことすら出来なくなったわたしを置き去りに彼は背を向けて去っていった。来た時と同じように軽快に跳び上がり甲板に立つと赤い翼は空へ飛躍して行く。


「カイン……」


竜の兜を脱いでしまったのかと、槍を置いてしまったのかと思っていた。もしかするとずっと目指していたお父さんを超えるという目標まで捨ててしまったのかと。

あなたもカインならそうじゃないって信じていてもいいんだよね。広大な砂漠の空へ消えていく赤い翼を見送って胸元のローブをぎゅっと握りしめた。


「#name1#、待たせたな」

「あ、2人とも!」


頂上まで辿り着いた2人を迎えて傷だらけのセオドアくんの手を取って魔力を集中させる。淡い緑の光が包み込むとすぐに塞がり疲弊していた表情も柔らかくなった。


「#name1#さん……すみませんでした」

「無事でいてくれたからそれでいいのよ」


落ちてしまった時は本当に気が気ではなかったし何かあったらどうしようと思ったけれど。今度からは落ちないように気をつけます、なんて約束してくれるセオドアくんに、こんな機会なんてそうそうないと思わず笑ってしまった。


「それに注意ならあの人からされたでしょ」

「え?どうしてそれを…」

「なんとなくね。気を緩めるな、とか?」

「さっさと行くぞ」


不自然に話を遮られて降りられる道を探すカインにセオドアくんと顔を見合わせる。きっと図星だったんだ。肩を竦めるとセオドアくんも小さく笑って頷いた。

まだ崖を登っただけで降りないといけない。登るよりは遥かに簡単だけれどのんびりしている時間はわたしたちにはない。それでも2人に伝えなければならないことがあって、重い口を開いた。


「ちょっといい?」

「どうした?」

「…さっきバロンの方から、赤い翼が」


違うと間髪入れずに拒絶するようなセオドアくんに言葉を選ぶべきだったと後悔した。人一倍憧れて、会うたびにその天翔ける姿を見上げては必ずあの船に乗るのだと夢を語ってくれていたのに。


「赤い翼は誇り高き飛空挺団!そんな、心無い兵たちが操る飛空挺は赤い翼ではありません!」

「そう…だね、ごめん」


赤い翼の向かった方向を聞かれてダムシアンの方角だと答えたところでわたしの思考は他所へ向いてしまった。

心無い兵、まさにその通り。彼らは魔物へと姿を変えられて自我を保つことなく、もう楽にしてあげることだけが唯一仲間として出来ることなのはわかってる。それでも彼が、カインまでもが心を失っていたら。そんなはずはない。自分の目で見て言葉を交わした彼を信じるより他ないのに。

胸の奥が苦しくて仕方がないけれど今は、とにかくもう一度彼に会わなければいけないような気がした。


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